2010年11月14日(日)
川越 小江戸 蔵の街へ
先日、久しぶりの休日を利用し、小江戸・川越へ行ってきました・・・
この町については、蔵の街、江戸の街並み程度の知識しか無く・・・何の下調べもしないで・・・ふらりと、訪ねてきました。
この街並みは、本川越駅から北へ2kmほどの所に位置し、幹線道路に面している蔵造りの商人町です。
・・・そこで、なぜ川越に土蔵造りの街並みがあるのか??・・・調べました・・・
江戸時代、各種の問屋や商店が川越城大手門前の「札の辻」を中心に集まり、川越の中心市街地が造られた。以前は蔵造りの街ではなかった。
現在の蔵造りの街並みは、明治26年(1893)の川越大火後に形成されたものです。
その大火では、それ以前に建築された大沢家など土蔵建築が焼け残ったのを見た商人達がこぞって江戸の土蔵建築を推進した結果、黒漆喰塗りの土蔵が連続する街並みが形成された。関東でも最も美しい土蔵の街並みです。
文明開化の当時、あえて江戸の街づくりを目指した事は注目すべきです。
・・・なぜ、現在この街並みがなぜ今まで残ったのか??・・・調べました・・・
明治28年(1831)に川越鉄道か川越から国分寺で開通、東上鉄道もその後開通し、それらの駅が、1から2km南に造られ、それに伴い市街地も駅周辺に移ってしまい、駅周辺の開発は行われたが、この地域の開発がなされなかった。
昭和46年(1971)に蔵づくりの大沢家住宅が国の重要文化財に指定され、また売却されようとしていた旧小山家住宅が市民要望により市が買い取り、街並みの保存の動きがはじまった。
さらに平成11年(1999)に一番街を中心とした7.8haが埼玉県初の伝統的建築物保存地区に指定された。
また、この蔵造りが面する道路は、都市計画道路中央通り線であり、計画道路は20mであったが、この伝統的建築物保存地区にかかる部分は、計画幅員を現状の9mから11mとする都市計画変更が行われた。
以上の様な経過により、この様な江戸時代にタイムスリップしたような美しい蔵造り街並みが保存されたと言うことは、なんと素晴らしい事でしょう。
当時の商人、町民、そして現在の川越市民、住民の努力に感謝と敬意を表します。
またこの街並みをはずれ、路地を少し入ると「菓子屋横丁」があります。
小さな通りですが、ご覧のような賑わいでした。・・・・郡山にもこの賑わいが欲しいものです・・・
さて、今日は・・・川越名物、芋ようかんとおせんべいでお茶でもしますか・・・・・
